かっぱ

文豪の朗読
谷川俊太郎が読む「理想的な詩の初歩的な説明」「かっぱ」 江國香織が聴く》
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 すっきりした声による、明晰(めいせき)な朗読。声が言葉と一体化している。無駄なものが何もないのがおもしろい。“理想的な詩の初歩的な説明”という、いかにも谷川俊太郎的な題名の詩のなかに、「詩はなんというか夜の稲光(いなびか)りにでもたとえるしかなくて/そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ/意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を」という一節があるのだが、この詩人の朗読を通して、私たちもまた、それぞれの詩を見て聞いて嗅げてしまう。これはとても稀有(けう)なことだ。なぜなら、普通、肉声には逡巡(しゅんじゅん)や含羞(はにか)みや体温や感情が混ざるからで、それはそれで貴重ではあるにしても、文字だけでできた詩や小説そのものにとってはやはり余分なものだからだ。でもこの詩人の場合、その余分がない。肉声に、逡巡も含羞みも体温も感情も混ぜずに発音している。すごい。そんなことができるものだろうか。もしかすると、この人は普段「ネリリし」たり「キルルし」たり「ハララし」たりしている宇宙人なのかもしれない。あるいは、詩人というのはそもそも「もの言わぬ一輪の野花」だから、逡巡も含羞みも体温も感情も持たないのかもしれない。
 ログイン前の続きというわけで、一編ごとに(たぶん詩の言葉と詩人の同化現象によって)空気が変(かわ)る。“二十億光年の孤独”の透徹した軽やかさ、“鳥羽1”のしっとりした重み、“おばあちゃんとひろこ”のあわあわした哀(かな)しみ。
 なかでも必聴なのは“かっぱ”で、これはもうただごとではない完成度の朗読である。可笑(おか)しい。何度も繰り返し聴いてしまうこと請け合い。言葉遊びなのだから当然かもしれないが、わかっていてもつい笑ってしまう。声とひらがな、リズムと音。文字を見ながら聴くと、目から入る情報と耳から入る情報が渾然(こんぜん)一体となる。それは、自分に肉体があることを忘れてしまいそうに軽やかな体験で、とても気持ちがいい。(作家)
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 1960年代に発表された朝日新聞が所蔵する文豪たちの自作の朗読を、識者が聴き、作品の魅力とともに読み解きます。
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 今回は、電子書籍シリーズ『谷川俊太郎~これまでの詩・これからの詩~』(岩波書店)の朗読音声を元にしています。