2016-11-11 目を離さないことだ 録画しても見たい小池都知事 「日本初の女性リーダー」の現実 遙 洋子 バックナンバー 2016年10月28日(金) メールで送る 印刷 保存 Evernote ご相談 勤務先で部長職を任されることになりました。責任の重さを感じつつ、自分なりに頑張ってきたことが認められたことを、素直にうれしく思っています。「女性活用優先のご時世、とにかくオンナを昇進させとけ、ってことだろ?」などという声も耳に入ってきますが、気にしても仕方がないので、とにかくできることをしっかりやっていこうと気を引き締めています。ひとつ不安なのは、目指すべきモデルが見えないこと。これまでの上司は男性ばかり。尊敬していた女性の先輩は退職してしまい…。性別に関係なくやるべきことを全力で、と思いながら、何かと男性中心で動いている会社の仕組みはいかんともしがたいところ。試行錯誤が続くと思いますが、すべて貴重な経験と考えて取り組んでいきます。相談と言うより決意表明になってしまいましたが、ご容赦ください。(40代女性) (写真:Natsuki Sakai/アフロ) 遙から 最近、ニュースを何本も録画して見ている。目的は小池百合子・東京都知事の今日を知りたいからだ。 日本は最下位クラスを維持 仕事で、ではなく個人的にどうしても気になる。見ずにはいられない。政治家に対してこういった感情を持ったのは生まれて初めてで、自分でも驚いている。 私が見たいのは小池氏のファッションでも視察光景でもない。彼女の"戦略"だ。 現在の日本は、意思決定層にいる女性の少なさに関して先進国最下位クラスを維持している。 昨今、各所で女性リーダーが誕生しているからといって女性の時代というにはほど遠いことは、データが示している。 先日、世界経済フォーラムから発表された各国の「男女平等の度合い」を示す「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は144カ国中、111位で過去最低だった。「政治」に関しては103位で、前回が104位、その前が129位。順位的には上がってはいるものの、その低迷ぶりは明らかだ。 そんな中、登場したのが小池百合子氏である。 政党のトップでは、社会党の土井たか子氏、社民党の福島瑞穂氏らがいて、最近では民進党の蓮舫氏が注目を集めているが、いずれも野党。もちろん野党には野党の存在意義があって、重い責任を担っているが、大混乱の中で現実に政策を実行する人として小池さんは違う光を放っている。 権力に寄り添う女性や、権力に手も足も出ない女性や、権力に打ち破れた女性がいる中、権力と戦ってリーダーになった女性、という意味では、私たちは日本史上初めての女性リーダーを目の当たりにしている可能性がある。ここに学ばなくていつ学ぶ、だ。 小池氏のどの戦略を頂戴するかは個々の自由として、まずは私が注目した戦略を整理したい。 隙は見せない 戦略1)作り笑顔。 彼女は決して感情を露わにしない。鉄仮面のような作り笑顔で権力者側の男性たちと相対している。かつての、気分を害したら怒鳴り散らしたり、ダダをこねるように平身低頭したり、の知事とは異なり、いっさいの感情を表に出さない。笑顔しか出さない。決して腹をさぐられない、という覚悟で臨んでいると私は見る。 戦略2)好感度を意識する。 その象徴としてファッションがある。年配の働く女性はいったいどんな装いをしているのか、というのを実は私達はあまり見る機会なく過ごしてきた。大人のファッションアレンジは女性たちには現実問題として大いに参考になる。派手な色遣いを見て揶揄するのは、紺の背広の群れに紛れて戦いに背を向ける人たちだろうか。 戦略3)距離感を意識する。 この技は、IOCのバッハ会長との公開対談の時に披露した。彼女はバッハ会長が"自分の"立ち位置に近づくまで、一歩も歩み寄ることなく笑顔で迎え、待った。そして握手した。ここは重要だ。自分から一歩でも相手に近づいた途端、そこにある権威は目減りする。ようこそようこそ、と、はしゃいだと取られかねない。一歩も歩みよらず、相手がこちらに来るまで待ってから握手する。自分が相応の権威を担う者であることを相手とメディアに見せつけた一瞬だ。交渉は握手の立ち位置からもう始まっている。 戦略4)聴衆への配慮。 通訳をはさんでの小池氏の日本語の切り方は、まるで、通訳と餅つきの合いの手のように呼吸が合い、聴く側にストレスを感じさせなかった。そう思ったのは私だけだろうか。日本語の切り方が絶妙だった。通訳を入れての対談への慣れの差などもあろうが、聴衆への配慮があってこそ、だ。 バッハ会長はどうだったか。 …話が長い。彼は話を切らない。延々と喋り続け、途中からはもう、元の質問が何だったか聞く側も忘れてしまう。ただただ「ながっ」と思いながら、終わらない話の終わりを待つ。そして、ようやく通訳が長い日本語に訳し始める…。 丁寧に誤解のないように言葉を重ねることは、悪いことではない。しかし、自分のありようが相手にどういう感覚を与えるか、自分の話が聞く者に無用なストレスをかけていないか、嫌な思いをさせないかといった、相手側に立つトレーニングをしてこなかった、あるいは、する必要がなかった側の人だと私は思った。同時に、小池氏がいかにそうしたことにまで気を配っているかが見えた気がした。 以上はこれまでの報道で私の主観で見つけた彼女の戦略だ。私も、舐められたくない時には相手に一歩も近づかず、相手がこちらに来るのを待って挨拶しようとその戦略をいただいた。 「パンドラの箱」「戦う相手」 さて、私が出演した番組で「ああ小池氏は、これからこういう批判と戦わねばならないのか」という場面があった。 ひとつは「開けてはいけないパンドラの箱を開けた」。 これは、いわゆる「豊洲問題」に手をつけることで、政治とゼネコンという、過去の知事たちが絶対触れなかったパンドラの箱、政治の闇に通じるとっかかりに手をつけてしまった、ということを批判したものだ。「それって、政治とゼネコンのことですか?」「はいそうです」と、本番中、ひそひそと私は発言者の政治評論家氏から言質を取った。 だがそもそも、そこに着手してほしかったから都民は小池氏に期待したのではなかったか。小池氏が都知事になったからには、すでにパンドラの箱は開く運命にあったのだ。そこでもし小池氏が過去の知事たちのようにろくな検証なしにスルーしたら、それこそ小池旋風など一気にないでしまったはずだ。どこまで闇と言われる部分に光をあてられるかはわからないし、勇み足で返り討ちに遭うリスクもある。が、着手した、というだけでも私は評価に値すると思う。評論家氏は着手してしまった、と、それをあくまでタブー視するが。 もうひとつは「戦う相手を間違えている。権力者と戦うのではなく、まず役人と戦わないと。不正をしたのは役人なのだから」といった指摘だ。 私は釈然としない思いだった。権力者と戦わず、部下と戦う? 理解ができない。戦うべき相手は何より権力者だろう。もちろん部下には適切な指導が必要だろうが、「権力者ではなく部下と戦え」というのは、問題の本質を見えなくする。 カルロス・ゴーン氏が日産のトップになった時、敵は部下だったろうか。会社を立て直すも、都を立て直すも、無駄な出費を控え、情報公開をし、透明性を出し、建て直すという手順が必須と見る。部下を敵とみなして、こうした手を打つのは、ままなるまい。 不正と解釈されても仕方ないようなことが起きる慣習を放置した過去の知事たちには責任があるだろう。なぜ部下にそういった体質が根付いたのかは、解決せねばならない重要課題だろう。しかし部下を"敵"とするのは、やはりしっくりこない。 本当の敵は 敵は、そういった行為を、知事の眼をかすめて裏でやってのけた連中だ。それを指示した何らかの力だ。その、何らかの力こそが、前述でいう"パンドラの箱"の中にいるのではないか。豊洲移転問題でもオリンピックの膨れ上がる予算問題でも。根っこは同じパンドラの箱にあるのではないか。 部下を、知事ではない"誰か"がコントロールしている。その"誰か"をあぶりだし、なぜその人間がそういう指示を出したのかの背景をあぶりだし、その背景にいるまさしく"権力"と戦うことが小池知事に期待されていることなのではないか。 リーダーが知事ではなかったから起きた事態ともいえる。都庁には知事以外に、リーダーがどうやらいたのだ。その外部の権力者と戦うのが、現知事に都民から負託された期待ではないか。 「今の知事は週に一回の出社」と皆が笑って許してきた過去がある。知事がお飾りだったことから生じた事態だ。知事が真にリーダーとして一本化されれば、おのずと役人たちはそのリーダーに従うだろう。どう考えても部下は敵ではない。言うことを聞かない部下、出せという書類を出さない部下、何かを隠す部下がいたら、敵は部下ではなく、そういう行為をさせる"誰か"が背後にいるということではないか。 小池知事は今、情報公開と、四方八方からやってくる各分野の権力者たちと対峙している真っ最中だ。我々は冷静にこの光景をながめよう。バッハ会長との会食の円卓では、総理、会長、そして間に二人を挟んで小池氏が並んだ。「同じテーブルにしたよ、でも、会長とは喋れない席にしましたから」といった作為があるように私には映る。もちろん、そんな作為はないかもしれない。私のねじれた根性がそう見えさせるのかもしれない。しかし、「そのパーティでは小池氏はバッハ氏に喋りかけようとするも失敗」といったニュースコメントを見ると、彼女の周りはなんと敵だらけか、と、ため息が出るのだ。 見逃せない これが日本史上初(遙的には)の女性リーダーの現実だ。この状況を彼女はどう打破していくのだろうか。 もちろん、彼女は完全無欠だとか、何があっても批判すべきではないとか、そんな贔屓の引き倒しのようなことを言いたいわけではない。批判すべきことは批判し、喝采に値すべきことは喝采すればいい。 とにもかくにも、しっかり見ておいた方がいい。女性リーダーを目指すなら、小池氏から目を離さないことだ。 遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」:日経ビジネスオンラインhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100407/213874/